読書とわたし

2018年より、読書記録をつけることを抱負とし、始めてみました。

スコーレNo.4を読んで

スコーレNo.4 (光文社文庫)

スコーレNo.4 (光文社文庫)

 

 

スコーレNo.4を読みました。
2018年記念すべき第1冊目にふさわしい本でした。

 

古道具屋(骨董品店)「マルツ商会」を経営する父と、専業主婦の母の長女として生まれた主人公の津川麻子。彼女には年子の妹である七葉がいて、この七葉が幼い頃から麻子のコンプレックスをくすぐり続けます。

 

「七葉がどうして思ったことを口に出せるのか、私はどうして躊躇するのか。それははっきりしている。七葉が可愛いからだ。」
「可愛さの代わりに勉強で一番になろうとか、スポーツに励もうとか、そんなふうに私は私の花を咲かそうだなんて思えない。うんと走るのが速かったら、物怖じせずになんでも言えるだろうか。ピアノが得意だったら、素直になれただろうか。(中略)気づけばいつも隣に自分よりずっと可愛い妹がいる。それで私は何をがんばればいいんだろう。がんばることと可愛さは全然別のことなんだから。」(本文より)

 

七葉には、七葉の苦労があるだろうし、可愛さがあれば物怖じせずにいられるとか、素直になれるとか、そんな単純なことでもないと思いますが、麻子はこのように考えてしまいます。でも、麻子の思っていることも一理あるので、麻子の気持ちもわかります。
もともとの性格が大人しいこともあり、麻子は真面目で賢くありながら、いつも自信が持てず、人間関係も受け身でいることで、自分を守りながら、青春時代を送ります。

 

得意な英語を活かし、大学卒業後、商社に就職します。最初の配属先は現場経験という名目で高級な輸入品を扱う靴屋の店員として配属されます。いきなりの出向です。
最初こそ受け身な性格が災いし、なかなか仕事に馴染めなかった麻子ですが、骨董品店の娘として育ってきた審美眼が靴屋の仕事でも発揮され始め、その仕事ぶりを認めてもらえるようになります。

 

しかし、麻子はこう考えます。
「心の底から、何かを愛したり欲したりすることのできる人と、そうできない人がいる。私は後者だった。(中略)愛することのできるもなく、強く思い入れることのできるものも、気がつくとまわりには何もなかった。(中略)そういう頑なな一途さが今でも憎いほど羨ましい。」(本文より)

靴を愛し、時には身を滅ぼしてしまいそうになる同僚の店員に比べ、冷静に靴を見ている自分をさみしいと感じてしまいます。

 

何も愛せないという気づきが、本社に戻った後も麻子を縛り、麻子の恋愛観、結婚観を揺さぶり続けます。
また、麻子は少女だった頃、母に対し、こう考えていました。

 

「熱くなったもの、輝いたもの、一緒くたに飲み込んでしまって、それでもいいと思えるしあわせが、あるんだろうか。」(本文より)

 

華道の師範の免許が取れるほどだった母が、結婚を機に辞めてしまったと知った時の言葉です。
この時から、麻子は結婚に疑いを持ち始め、大人になっても、結婚は脅威としてのしかかってきます。

 

この後、あることをきっかけに麻子の考え方は変わり、呪縛が解かれていくのですが、ネタバレになるので、詳しくは書かないようにします。またこの先もネタバレになる表現が含まれているので、まだ読んでいない方はご注意ください。

 

スコーレというのは、「学校」の語源となった言葉のようで、この小説で麻子は4つのスコーレに出会います。
この小説はNo.1〜No.4までの4つの章で構成されており、1〜2は中学〜高校、3〜4は大学〜社会人になります。
1〜3までの麻子が自身に対して抱いた劣等感や疑問をNo.4で丁寧にまとめてくれます。

 

ここからは、私の感想です。
私は、No.4で大切な言葉を3つ見つけました。


「愛したって自由だよ。相手のことだけでがんじがらめになっちゃうのが愛ってわけでもないんじゃない?」(本文より)

 

これは、麻子の恋人である茅野が、麻子の何も愛せないという苦しみに対して放った言葉です。麻子は、何も愛せないわけではない。ちゃんと愛せていた。
愛するということは、定義するのが難しい言葉だと思います。自分をがんじがらめにし、人生を狂わせるほどのものでないと愛と考えられない人もいると思います。麻子のように。だけど、愛することはもっと自由で、ハードルが低いものであるということに気づかせてくれる一言です。

 

「うまくいった結婚って、うまくいった人生の一部だろうと思うから。」(本文より)

 

これは、麻子の結婚に対する気づきです。結婚は人生の一部でしかないと思えば、結婚に呑み込まれることも、結婚で何かを失っているわけではないことも感じられる大事な視点だと思いました。

 

「どうしても忘れられないもの、拘ってしまうもの、深く愛してしまうもの。そういうもの、こそが扉になる。いいことも、悪いことも、涙が出そうなくらいうれしいことも、切ないことも、扉の向こうの深いところでつながっている」(本文より)

 

何にも夢中になれない私、何も特技がない私、がいる一方で、興味のあるものしか受け入れられない私、視野が狭い私、もいる。
「愛したって自由だよ」「結婚は人生の一部」という少し距離を取った言葉と、最後のこの言葉は、相反するように見えて深いところでつながっているように思えます。
冷めている私、情熱的な私、人は相反する部分を必ず持っていると思います。そんな2つの私の疑問にこの小説は丁寧に答えてくれたと感じました。

 

自分自身に迷ったときに思い出したい一冊です。