人間タワーを読んで
- 作者: 朝比奈あすか
- 出版社/メーカー: 文藝春秋
- 発売日: 2017/10/24
- メディア: 単行本
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人間タワーとは組体操の一つであり、この小説では6段に及ぶ人間が成すタワーを指す。
桜丘小学校では、2つの小学校が合併し1つになっていく様子を体現しようと、合併の年度以来、「伝統」として6年生全員により運動会で行われてきた。桜丘小学校の関係者また地域の住民にとって、人間タワーは、桜丘小学校の象徴として運動会での目玉となっていた。
この小説は、その人間タワーが失敗するところから始まる。中段のバランスが崩れ、最上段に乗っていた児童が転落し、怪我を負う。
その影響が、保護者、在校生、ネットニュースなどに及び、物議を醸すようすが様々な登場人物の視点から語られる。
現実でも組体操の危険性が、メディアで取り上げられたことが記憶に新しい。
私もそれに興味を持ち、手に取ってみた。
この小説は、全六話で構成されており、各話で語り手が変わる連作短編集である。
一話は、桜丘小学校1年生の息子を持つ母親の雪子。彼女は、目の前で人間タワーの失敗を見たが、息子の将来に水を差したくない、と人間タワーについては否定も肯定もしていない。
二話は、小学校の近くの介護施設に入所している神原伊佐夫。彼は何年も見てきた人間タワーに、かつて妻と駐在していたタイのワットアルンを重ねている。
危険危険とばかの一つ覚えのように声高に言うことで何かと成長の芽をつんでしまうような今の時代において、作る者を一体化させ、観ている者を感動させ、心に大きな何かを残す。そうしたものを生み出せる現場が、今の日本では少なくなっている。(本文より)
伊佐夫は、人間タワーに魅せられており、それを作るため切磋琢磨することが小学生には必要な経験だと、ストイックな視点を持っている。
三話は、人間タワーの指導者である小学校教員、沖田珠愛月(じゅえる)。ドキュンネームに苦しみ、児童に舐められないような指導を心がけている学年主任でもある。ここから話は、人間タワーを失敗した次の年度に変わり、新6年生の運動会の準備の様子が語られ、人間タワーをやるかやらないかで揉めている。
RYOやネットユーザーは甘えている。きっと、実体験がないのだろう。耐えなければ見えてこないものがあることを知らない。苦しみを乗り越えなければ芽生えない信頼もある。実体験がない人は、無形の教育を簡単に貶す。(本文より)
RYOというのは、組体操の危険性をネットニュースで訴える記者である。この人物は、一話に出てくる雪子の元夫で、RYOの不倫が原因で離婚しているという背景がある。
じゅえる先生は、ドキュンネームも手伝って、彼女自身が耐える人生を送ってきており、我慢することが美徳だと思っているところがある。
ここにいる全てのこどもたちに、決して世の中を舐めさせない。強い子になってほしい。耐えられる子になってほしい。(本文より)
このような信念を持って指導にあたっているじゅえる先生にとって、人間タワーは自分の教えたいことを代弁しており、人間タワーはこどもたちの成長のためにあるものだと考える。
四話は、じゅえる先生の担任する6年1組の児童である出畑好喜と、安田澪が語る。
出畑は、6年生にしてはあどけなく、出しゃばりで女子から軽んじられる存在であるが、じゅえる先生を尊敬し、自身も人間タワーを成功させたいと願っている。
一方で、安田澪は6年生からの転入生で、人間タワーを見たこともなく、澪自身もやりたくないと思っている。
上の人には選択肢がある。下の人にはそれがない。(本文より)
澪は人間タワーが世のヒエラルキーを投影しているように感じる。大人びたところがあり、人間タワーを冷めた目で見ている。
五話は、じゅえる先生の部下で、6年2組の担任である島倉優也。彼はゆとり世代の若い教師で、快活さや親しみやすさから、児童に人気があり、そのことに少し奢った気持ちがある。
桜丘小関係者の人間タワーに対する義務感と情熱に気圧されてきた。(本文より)
島倉は、人間タワーに関しては、表向きは中立の姿勢を見せているが、心の中では冷めた目で見ており、「狂気じみている」「惰性の産物」とまで思っている。
この話は、人間タワーについてというより、一人の若い教師の成長の物語という感じがして、番外編というような印象を受けました。私は何気にこの話が一番好きです。
六話は、人間タワーに関する物議の火種となったネットニュースの会社の話。RYOはもちろん、今までの登場人物と関係のある意外な人物が主人公です。ここからはネタバレになるので書きませんが、この話でこれまでの論争にとりあえずの決着がつきます。
私がこの本を読んで考えたことは、人間タワーは、見てみたいなとは思うけど、自分のこどもにはさせたくないなです。
この小説を読んでいると、人間タワーはいかに感動を呼ぶものかというのが伝わってきます。でも、やはり危険であるし、小学生が人間タワーをやることに意味を見出せないと思いました。
周りの大人は皆で協力して我慢して、人間タワーを作るという経験がこどもたちにとって宝物になり、将来のこどもたちに役に立つ日が来ると信じて疑わない。
こどもの頃は、何かと集団行動を強いられることが多いけど、それを糧にして生きている大人はどれくらいいるのだろう?という疑問が浮かんだ。
これは、あくまでも私の個人的な感想だけど。
協力したり、我慢したりすることの大切さは、大人になれば嫌なほど身にしみてわかるし、大人になってから舐めた辛酸の方が俄然、自分を成長させてくれる。我慢強くなるために、耐えられる大人になるために…というのは、大人の自己満足なのかな?と意地悪な見方をしてみたり…。
こどもに押し付けてはいけないな〜と、少し内省的になりました。
人間タワーの賛否もそうですが、色々と考えさせられる作品でした。